• 原 薫

地下足袋を履いた教授、天国へ


 つい先日、師匠のおひとり、島崎洋路さんが天国に召されました。御年92歳でした。認知症の気があることをご自身も感じ、その日は予約をした病院に行く日だったとのこと。子供のようにはしゃいで玄関を出られ、数歩あるいたところで倒れたそうです。玄関にはご自身で割った薪が積まれておりました。まさにぴんぴんコロリ。


 私が信州に来ることになったのは、島崎先生と一緒に山仕事をしたいという動機があってのことでした。先生、そう、師匠は元信州大学の教授であり、長らく演習林長を務められました。別名を「地下足袋を履いた教授」。「農学栄えて農業滅ぶ」この言葉について先生と意見を交わしたことはないものの、やはり実学を重視した現場一筋の先生で、私はこの先生から現場で一緒に汗を流しながら林業を学びたいと弟子入りを志願したのでした。林業の現場で作業を行える大学教授はほぼいらっしゃらないでしょう。しかし先生は地下足袋を履き、腰に鉈鋸をぶら下げ、チェンソーで木を伐る方でした。


 「地下足袋を履いた教授」は一方で「山荒らし」という汚名も頂戴されていました。なぜか。先生は後に全国に広がった「列状間伐」という方法を提唱した方です。戦後、適地適木の原則を無視し信州にて大量に植林されたカラマツ。その手入れの遅れた林の間伐を押し進め、また伐るからには材木としても活用しようと考え編み出したのが、列状間伐です。定量的かつ機械的に選木をし伐採、そして架線にて搬出するという方法でしたが、丁寧な山づくりからは程遠いと非難もされました。


 しかし、戦後の拡大造林期の植林から50年程が経過し、明らかにまずい政策だったと分かったとしても、その過去を批判するだけでは何も変わりません。「今」からしか始められないのです。だからこそ「今のベスト」を追求する。先生の哲学は、とにかく強力に間伐を進めないと日本の森林は手遅れになるという危機感と、命ある樹木をただ山に捨てるのではなく、材として活かしたいという信念から生まれていました。やはりそれは現場にい続けたからこそ生まれた方法なのだと思います。


 結果的に先生と一緒に山で過ごした時間はわずかなものでしたが、林業の世界だけでなく、生きる上でも大切なことをその生き様で教えていただた、人間的魅力に溢れた方でした。晩年ほとんどお会いする機会をもてませんでしたが、先生から託された日本の山づくりに邁進することを天に誓いつつ、天国から惜しみないご加勢があると信じこれからも山に通いたいと思います。

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