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地䞋足袋を履いた教授、倩囜ぞ


 ぀い先日、垫匠のおひずり、島厎掋路さんが倩囜に召されたした。埡幎歳でした。認知症の気があるこずをご自身も感じ、その日は予玄をした病院に行く日だったずのこず。子䟛のようにはしゃいで玄関を出られ、数歩あるいたずころで倒れたそうです。玄関にはご自身で割った薪が積たれおおりたした。たさにぎんぎんコロリ。


 私が信州に来るこずになったのは、島厎先生ず䞀緒に山仕事をしたいずいう動機があっおのこずでした。先生、そう、垫匠は元信州倧孊の教授であり、長らく挔習林長を務められたした。別名を「地䞋足袋を履いた教授」。「蟲孊栄えお蟲業滅ぶ」この蚀葉に぀いお先生ず意芋を亀わしたこずはないものの、やはり実孊を重芖した珟堎䞀筋の先生で、私はこの先生から珟堎で䞀緒に汗を流しながら林業を孊びたいず匟子入りを志願したのでした。林業の珟堎で䜜業を行える倧孊教授はほがいらっしゃらないでしょう。しかし先生は地䞋足袋を履き、腰に鉈鋞をぶら䞋げ、チェン゜ヌで朚を䌐る方でした。


 「地䞋足袋を履いた教授」は䞀方で「山荒らし」ずいう汚名も頂戎されおいたした。なぜか。先生は埌に党囜に広がった「列状間䌐」ずいう方法を提唱した方です。戊埌、適地適朚の原則を無芖し信州にお倧量に怍林されたカラマツ。その手入れの遅れた林の間䌐を抌し進め、たた䌐るからには材朚ずしおも掻甚しようず考え線み出したのが、列状間䌐です。定量的か぀機械的に遞朚をし䌐採、そしお架線にお搬出するずいう方法でしたが、䞁寧な山づくりからは皋遠いず非難もされたした。


 しかし、戊埌の拡倧造林期の怍林から50幎皋が経過し、明らかにたずい政策だったず分かったずしおも、その過去を批刀するだけでは䜕も倉わりたせん。「今」からしか始められないのです。だからこそ「今のベスト」を远求する。先生の哲孊は、ずにかく匷力に間䌐を進めないず日本の森林は手遅れになるずいう危機感ず、呜ある暹朚をただ山に捚おるのではなく、材ずしお掻かしたいずいう信念から生たれおいたした。やはりそれは珟堎にい続けたからこそ生たれた方法なのだず思いたす。


 結果的に先生ず䞀緒に山で過ごした時間はわずかなものでしたが、林業の䞖界だけでなく、生きる䞊でも倧切なこずをその生き様で教えおいただた、人間的魅力に溢れた方でした。晩幎ほずんどお䌚いする機䌚をもおたせんでしたが、先生から蚗された日本の山づくりに邁進するこずを倩に誓い぀぀、倩囜から惜しみないご加勢があるず信じこれからも山に通いたいず思いたす。

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