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【山ゼミ第二弾】カラマツは、どこへ行く。

山ゼミ第二弾!

今回もエキサイティングでした!


「カラマツはどこから来たのか。そしてどこへ行くのか。」というお話。

今回も、ざっくり超訳!してみたいと思います!



カラマツについては、香山さんの記事 落葉松ものがたり①「カラマツはどこから来たのか」

を一緒に読むと理解が進みます!






まずはカラマツのプロフィール。


寒冷・乾燥・荒地に育つ。 杉もヒノキもアカマツも育たないところ。 天然分布は八ヶ岳 浅間山あたり。


カラマツ植林の始まりは、長野県。


明治初期~明治20年頃、松本市や川上村で植林が始まる。「信州のカラマツ王」と呼ばれた川上村の井出喜重(いでよししげ)が、カラマツの苗つくりたい人募集!の新聞広告を打った。

あの明治神宮の森(はげ地から100年計画で森をつくった)の父・本多静六もカラマツを絶賛したのだとか!下の写真はおととし散歩した時の明治神宮です。



その後、本格的にカラマツ植林ブームが来るのは1960年代。


土木用杭、電柱、炭坑用杭としての利用を想定して植林。30年で収穫できるから、間伐も不要!

と目論んでいたけれど、30年たってみたら、電柱などの用途はなくなっていました。残念。



ちなみに、長野以外の一大産地である北海道では、

台風でエゾマツ・トドマツが倒れたところに、信州カラマツを植えた。 電柱用途が先細った後は、パレットや梱包用材に特化。

とソフトランディング。


そんな中、カラマツ林業発祥の地・長野県は、

カラマツをどう使うか、方向性が決めきれなかったのだそう。

そうしている間に、カラマツは粛々と育つ。


柱に使ってみたら、ねじれがひどい。ヤニがひどい。

こののイメージがある大工さんたちは、カラマツぼろくそに言います(笑)。

でも研究が進んで、分かってきたことがあります。


20-30年までは風などの力をいなすためねじれるけれど、 太くなれば真っすぐな目になる。

長野県のカラマツは、現在50-60年生になっていて、

芯を外して、建築用材に使えるようになってきました(製材乾燥の技術向上もあります)。


ただ、問題点が。


カラマツ林は、すでに間伐手遅れ状態。 間伐をしても残した木が育つことが期待できない。 だから間伐が難しい(ほとんど意味が無い)

これから、カラマツをどうやって使っていくか。

やはり、家具材・住宅用材で活かしていくべきだという香山さんのご意見。

写真は林友ハウス工業さんの、T&Tpanel。


そして、現在の長野のカラマツ林は、もう一度カラマツを植えるか?という判断の瀬戸際にあるのだそう。


→植林をしない、という考え方もある。再造林はお金が掛かる。自然の山に戻す? →もう一度植えるなら、山にお金が戻る形が必要。苗づくりなどの課題も。

講義の後は、アトリエm4前田さんの工房へ。

こちらは残念ながら行けなかったのですが、

カラマツをなぜ使うか、カラマツをどう使うか。お話またお聞きしたいです。



カラマツは、信州の近現代をともに歩んできたのですね。


カラマツは、人間は、どこへ行く。





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