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たしかに「これからも、木と共に。」はベタだけど。

更新日:2020年1月25日


昨年1年間ほどロケで通った南相木村。まもなく作ったムービーが公開されるはずですが、紙媒体もぜひということでB4サイズのタブロイド的なものを作りました。

ムービーの撮影の道中(松本から2時間かかる)、撮影チームといろいろと話しながら思ったのは、木に携わって仕事をしている我々のような立場の人間が、いかに世の中の常識をわかってないか、という事。木を育てて使うを「しっかり」ではなく「簡潔」に伝えなければという実感が湧きます。

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子供がやっている宿題をのぞいたら、「森は生きている(富山 和子)。」のダイジェストがのっていました。これがとてもわかりやすかった。

僕は木工の立場なので「木を使う」ということにものすごく直接的に関わるのですが、だからこそ余計に「木をみて森をみず」になりがち。木でものを作ろうよ、とか、木をどれくらい使おうよ、なんていう短絡的なことではなく、木と共にある営みがどれほど大きな枠での「営み」なのか。燃料のこと、水のこと、空気のこと、国土のこと、農のこと。極端にいえば、木材をつかわないとしても、森を育てることは死活問題ともいえるんだと感覚的に理解できる例題でした。

宿題にはこんなリードがありました。「森は、川をつたって栄養を遠くの田畑にとどけている。だから稲は何百年もくりかえしつくることができている。」「では森は誰が育ててくれているのでしょう。」「山村の方々です。」そこから最終的に、木は、森を大切にそだてさえすれば、繰り返しつかえる尊い資源なのだということを答えさせていました。

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宿題が終わる頃には、南相木村のプロモーションに掲げた「これからも、木と共に。」というコピーが、確かにベタではあるけれど、やっぱり必要なんだと感じてました。

これまで日本ではずっと木とともにやってきた。これからも木を大切にしなければ、根底から生活が揺らいじゃうよという事実。森は水をもたらしてくれる。急峻な山の土地を保持してくれる。燃料を提供してくれる。土壌を育ててくれる。当たり前だけど、なくなったら困るという事実。

いままでずっとこうしてうまくやってきたんだよ。これからもそうしたほうがよさそうだよ。

そんなことを感じられる家具作りをしていきたいものです。


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