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なかなかない

更新日:2020年1月25日


​先日スタジオをオープンしてからいくつかの取材をしていただいています。

その中でよく「なぜ地元の木をつかうんですか?」と聞かれます。

どうしてかなと考えてみながら

身近な素材で暮らしをなりたたせることがとても素敵に思えるし

そこにむかって工夫するのが楽しいからでしょうか、などと答えます。

 

最近、200年くらいの古民家をみる機会がありました。蔵の戸を補修してつかいたいとおもって

いちど分解してもらってでてきた戸車。軸がほそく痩せていました。これではうまくまわらない。

ステンレス製の戸車に交換することになりましたが・なんとも素敵な戸車が魅力的に思えてしかたない。

輪はケヤキ、軸はたぶんシラカシかな。庭にちゃんと植えてあるし。

戸の土をおとすと、まるで新品みたいな竹が。200年前とは思えないほどの姿です。それにしても丁寧で美しい仕事。

見回せば、庭には竹林がある。

蔵の床をいちどばらして、浴室やトイレ、キッチンをいれるための設備工事をしていただいています。一部FLをさげるために大引をとりはらっています。それにしてもクリとエンジュが見事にのこされています。一部虫食いがあるのも、シロアリではないようす。シラタの部分をかじられておわっています。

隣の蚕室は、2階の廊下がだいぶいたんでいるので柱の交換と梁の追加。ナラ材の細い梁の古材を大工さんがみつけてきて据えてくださっています。

客室になる引戸に内鍵をつけるのをどうするか思案しながら、竹林から竹をもってきて、つっかい棒を作って閂にしようということになりました。

 

自分たちが暮らすために必要なものを、身近に用意できる材でつくること、工夫してつくることは決してあたらしい考え方ではありません。いろんなことはすでにためされていて、はじめてのことなんてもうなかなかないんだろうなと実感します。

だからこそ、適材適所ができていて、修繕するときのために庭木に材料まで用意してある。

すごいことだなと思います。自分がしていることなんてなんにも新しくなく、当たり前のことなんですね。

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