6月より月に一回のペースで市民タイムス(長野県松本市の地元紙)のコラムに登場することになりました。
こちらにも同様の内容をお送りしたいと思います。
~木の文化を受け継ぐ職人になりたい~
市民タイムス読者のみなさま。初めまして。原薫と申します。今月からお付き合いのほどお願いいたします。初回は自己紹介をしつつ、これからお話しする私の言葉のバックボーンを知っていただければと思います。
生まれは神奈川県川崎市で、大学入学までそこで育ちました。緑が少ないところでしたが、幼少期にはまだ田畑やナシ園がある環境の中、幼馴染(なじ)みの男の子と毎日のように外で駆け回っておりました。中学はもっぱら部活動(ハンドボール)に明け暮れ、元日以外364日練習の日々。林業の現場で働く体力はこの頃までに培われたと思われます。 一転、高校ではまじめに勉学に励み、地理の先生の影響により環境問題に関心を抱いたことで、大学は農学部に進学しました。専攻は生物化学だったもののその後の人生に大きく影響を与えたのは専攻外の「樹木学」。様々(さまざま)な角度から「樹木」を学ぶのですが、その中で私が一番興味を抱いたのは「民俗学」的な側面。日本には実に多種多様な樹木が生育しているのですが、それらの木を先祖たちはどんな使い方をしてきたのかを知ります。化石燃料のなかった時代、私たちの祖先はあらゆる資材を自然の中から調達していたわけですが、多様な樹木の特性を生かし、見事なまでにも様々な道具器具に使い分けていたのですね。私はその智恵(ちえ)に触れ、非常に興味を覚えたのです。また樹木学の実習で訪れた静岡県井川はのちに林業を始める地にもなります。 大学卒業後、一旦(いったん)、環境問題に取り組む場を環境教育に求め、教職の資格をとる勉強を始めました。そして図書館で運命の本と出合います。それは東京・新木場最後の木挽(こび)き職人と言われた林以一さんの『木を読む』。長年「木」と向き合ってきた日本の職人の珠玉の言葉に触れます。環境問題にどう取り組んだらいいか迷いがあった私は、林さんの言葉によってあることに気づかされました。それは、日本には古来より、木の文化に象徴される「人と山とが生かし生かされる」関係性があったこと。そしてそれを伝える林さんの存在があまりにカッコよく感じられ、自らがその存在―木の文化を脈々と受け継ぎ体現する職人になりたいという衝動にかられてしまいます。 ◇ 原さんは昭和48(1973)年生まれ。大学卒業後、静岡県内の森林組合勤務を経て、20代後半から県内で林業に従事しています。現在は市内の柳沢林業の代表で、木を使う社会の仕組みづくりに取り組む一般社団法人ソマミチ代表も務めています。
(はら・かおる、ソマミチ代表=松本市)
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