• 原 薫

子どもは愛の結晶なのです



 前回、「自然(じねん)」を感じられるひとつとして、食を通しての「いのちひとつらなり」についてお話したのですが、論点が定まらずに、お伝えしたいことが曖昧になってしまいました。いずれそれを整理する機会をこのコラムの中で持ちたいと思いますが、それだけ「自然(じねん)」という概念が広く深いということでもあります。また毎日の「食べる」という行為は「腹いっぱいになればいい」という表面的なことでもないのですね。どうか食事の際には「いただきます」の感謝とともに、どんな料理でさえ、しみじみ味わっていただけたらと思います。


 そして今回は神様からの贈り物三大欲のうち、「性欲」に話を進めます。


「性欲」。この言葉からいいイメージを持つ方はきっと多くはないでしょう。今の時代、「性欲」がない人たちも増えていますし、男性の精子の数が少なくなくなっているのも事実です。そして歪んだ描写のされた性行為映像が氾濫し、相手を自身の一時的な快楽のための道具としか見られない人も増えてしまっています。どちらかと言えば、「性」を語ることはタブーとされてます。


 ではなぜ「性欲」が自然(じねん)につながるのか。(あくまで私の個人的な見解ですのでその点ご了承くださいませ。)今の時代「男らしさ」「女らしさ」という言葉を使うと、ハラスメントとしてお咎めを受けますし、また、生まれ持った体と性的意識が一致しない方々もいらっしゃいます。ですが、この世に、生物学的には、あるいは肉体としては「男」と「女」しか存在しません。これは紛れもない事実です。


 神が何なのかわかりませんが、神が作られたのはアダムとイブでありイザナギとイザナミなのですね。「男」と「女」は性的に全く反対の性質を持っています。「話を聞かない男と地図を読めない女」という本が出版されるほどお互いを理解し難いようでもあります。


 しかしこの正反対の存在が愛を育まないと子どもは生まれません。つまり子どもが生まれるということは、相反する存在を受け入れ、違いを認めて愛を育み「ひとつになった」結果です。まさに「自然(じねん)」。男女も子どももまさに「いのちひとつらなり」ですよね。


 私は、このことを伝えることが子どもたちの「自己肯定感」にもつながると考えてます。そう、私たちはみな、お父さんとお母さんの愛の結晶なのですね。少し「性」の概念が変わりましたか?そしてちょっぴり心が温かくなりませんか。


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