声高にSDGsと叫ばなければ他の存在への思いやりが持てなくなってしまっている現代社会。このような「人としての『器』」が小さくなっていることは、丹田が弱く、小さくなってしまっていることによります。
丹田は体に7か所ありますが、主には臍下丹田(下腹部)を指します。
「丹」とは気、エネルギーです。それが「田」つまり「育まれる場所」で「丹田」。なので丹田には魂が宿ると考えられていたのです。
最近医学的にも「腸は脳よりも賢い」と言われ始めておりますが、昔は魂が宿るこの下腹部に体の重心、意識の中心があったようです。
今は「女性は子宮でものを考える」という言い回しが蔑視的な意味で捉えられていますが、意識が丹田にあるということが、「ジネン」であること、つまりあるがままの自分でいられるために大事なことなのです。
例えば「怒る」こと。現代人は「頭にくる」ですね。丹田に意識があると「腹が立つ」のです。この両者には大きな違いがあります。
前者はカッとなってキレてしまうことであり、後者は、怒らなければならない場面で毅然とした態度になれること、つまり前者は感情に翻弄されており、後者は感情を意図したように自制しているのです。自身にとっても相手にとってもどちらが適切な言動なのかわかりますね。
自分らしい生き方ができるために丹田が重要であることを私はヨガと出会った30代で初めて知ったわけですが、知れば知るほど昔の日本人はとても丹田が強かったことがわかってきました。ヨガをしてわけでもないのに…。なぜなのか。私の推察ですが、日本の生活様式そのものが丹田を強く大きくしていたのではないかと思うのです。
例えば正座。足がしびれるのは下半身の血流の巡りが悪いからですが、正座も続けていれば次第にしびれなくなっていきます。正しい姿勢であることが重要ではありますが、丹田にエネルギーが集まり下半身の巡りがよくなるのです。
今はほとんどの家が洋式化し、食事は椅子とテーブル、くつろぐのはソファ。正座をする機会は皆無です。ちなみに夫は二十年以上前から褌を履いて普段も和装ですが、褌も帯も下腹部で締めることで「丹田」に意識がいくようになり、エネルギーが集まります。和装もまた、丹田を鍛えるのに有効だったわけです(夫の丹田が強いかは定かではありませんが・・・え?)。
知れば知るほど、日本の文化って素晴らしい!
次回も丹田にまつわるお話をさせていただきたいと思います。
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