長女がこの春に、ナウシカを1巻から7巻まで繰り返し読みして4ループ、からのムーミンの本に移動(今ココ)。何を隠そうソマミチメンバーの宮坂くんとは中学時代にアニメージュ(懐い)連載時からのナウシカンで、いつの日か僕のかつての愛読書を娘にと思っていたけれど期せずしてバトンを渡すことができてよかった。腐海の生み出す瘴気から身を守るためにマスクが必要というところにコロナウイルス時代が重なることはないほど話中の世界は過酷で、その中で気高く生きるナウシカのようになって欲しいとは言えない。シータでいい。
ナウシカのお話の中に「薪をとった跡がある、人がいるんだわ。」というシーンがある。人と自然をテーマとしたストーリーにおいて、共に生きることができるという希望の持てるワンシーンで印象に残る。
僕は薪ストーブを暖房に使うことを決めて家を作ったけど、それはもちろん小さな頃から父が作ってくれた僕の考え方で、信州に越してからではなく鎌倉山の家にいる時からの我が家の習慣だった。「コッパが出るから」と始めた薪ストーブが「近隣に迷惑だと感じて」松本に越したことになっているが果たしてどうだったのだろう。そして今、どうあるべきなのだろう。煙が出るから。火事の不安があるから。そうした話で都市化した暮らしの中で薪ストーブを諦めるのはとても残念なことかもしれない、諦めざるを得ないとしても。
古いヨーロッパの街並みで僕が好きなところの一つは、古い集合住宅の屋根に並んだ煙突のある景色だ。洗濯物が煤臭いわねなんて言いながら喧嘩しているのは幸せだったのかもしれない。新しい生活様式についてまだあんまり勉強ができていないけど都市化を緩く放っていくことにはメリットがありそうだ。ステキな戸建ても建てられるし蜜が疎になれば過密も過疎もちょうどいい塩梅にできるのかもしれない。誰にとって何がちょうどいいのかもじっくり家で考えてみたらいいのかもしれない。知らんけど。
自分の家の薪棚を眺めていると自分の暮らしが森のリズムとリンクする実感が湧く。冬に備えて薪を用意する。それは2年くらいの時間軸で切る、割る、燃やすというサイクルを森と共に刻んでいく感覚で1年で更新される稲作ともまた微妙にちがう繋がり感を刷り込んでくれる。
家にいる時間が増えて、ナウシカからトレースするようになって、「ジブリの中でどの映画が好き?どのキャラが好き?」とかいう質問が増えた。僕は「もののけ姫」が好きだ。いつも人間と自然と、について思いを巡らせるのに素晴らしいトリガーになってくれる。若い時には釈然としなかったエンディングでのアシタカの生きる道も人生の後半戦になってようやく理解できてきたような気がする。僕がジブリで一番好きな女の子サンを守るためにあーするんだね。勉強になるなあ。
そんなわけで、「もののけ姫の会」を主宰する我らがソマミチ代表原薫さんには、ぜひサンではなくナウシカを目指してもらえたらと願っている。
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